SSSでは、「最後に眠る場所が決まると安心」をいう声を聞き、2000年に「女性のための共同墓」をバラの霊園「府中ふれあいパーク」の中に建立しました。手ごろな値段で入れる永代供養墓は昨今、流行ですが、SSSは「お墓は生きているうちに集う場所」としてのシンボル的な場所になっています。そういう理由から、お墓のデザインをテーブルとベンチにしました。年に一度行っている追悼会では、その年に亡くなった仲間を追悼するとともに、ワインを飲みながら、楽しい時間をすごすのが、習わしです。2013年6月現在の共同墓の契約者は約300名。これまでに亡くなった方は21名。驚くことに、50代の女性がそのうちの半分を占めています。いつまでも生きると思ったら大間違いです。

 

 SSS(スリーエス)ネットワークでは、「今はいいけど、最後のことが心配」という会員の声を受け、2000年、バラ咲く霊園に「女性のための共同墓」を建立した。お墓は死んでから入る所だけでなく、生きているうちに集う所。年に一度の追悼会では、亡くなったメンバーを皆で明るく送っている。

 実は、「女性のための共同墓」を建立するきっかけは、京都の常寂光寺にある「女の碑」の存在が大きかった。わたしたちの大先輩のシングル女性が1979年に建立したお墓である。現代のおひとりさまと違い、1930年代に独身だった女性たちは、戦争により相手となる若者が戦死し、シングル人生を余儀なくされた人たちが多かった。

「女性も戦争の犠牲者、二度と戦争を繰り返すな」という市川房江さんや谷嘉代子さん(「女の碑の会」代表)の呼びかけで、同じ境遇の独身女性のために一緒に眠るお墓を作ったのである。

 この事実を知ったわたしと中川(当時SSS理事)はすぐに谷嘉代子さんに会いに行き、そのいきさつや思いに触れ、深く感動。当時の女性たちと境遇は違うが、ひとりを生きる女性である点で同じである。SSSネットワークで作る意味があると「女性のために共同墓」を作る決心をしたのである。

 2000年に、わたしたちの「女性のための共同墓」が完成した時には、谷嘉代子さんをお呼びして、谷さんから松原にバトンを渡すパフォーマンスを行い(上の写真)、会場を大いに沸かせた。先輩がいたから、今日のわたしたちがある。先輩の苦労があったから今日のわたしたちの幸せがある。

 2005年ごろだっただろうか、谷さんから突然電話があり、どんな急用かと思いきや「お若いあなたの元気な声が聞きたかった」と。それが最後となった。その後、谷嘉代子さんはお亡くなりになり、「女の碑の会」も閉会した。

 わたしたちの「女性のための共同墓」が完成して、皆で喜んでいたのもつかの間、今度は会員から「お墓はあるけど、誰に納骨を頼めばいいの」「兄弟には頼みたくない、友達に頼むのも気が引ける」という不安の声を聞くようになった。

 当初は「SSSは葬儀社ではないのだから、そんなことまでできない」とつっぱねていたが、幸運にも、共同墓のある霊園が葬儀部門も手掛けることになり、「大丈夫、SSSネットワークでやりますよ」と言えるようになったのは、うれしい限りである。
 SSSネットワークの終活事業はふたつ。2000年に建立した「女性のための共同墓」と、2013年スタートの「SSS直葬プラン」である。※いずれも現在は受付終了 

                                      (SSSネットワーク代表・松原惇子)